英才教育って教育方法なの?

03 2月

英才教育で気を付けたいこと

これまで見てきたように「英才教育」というのは、一般的に、優れた潜在能力を持つ子供をさらにその能力を伸ばす教育だと云われています。しかし、この英才教育で気を付けたいことがあります。昔から英才教育を揶揄する際に云われてきた「昔、神童、今ただの人」ということです。

小さな頃は聡明で大人顔負けの能力を発揮していたものが、大人になってみると普通の人と変わらなかったり、逆に悪くなってるということを戒めた言葉です。能力のある子どもに対して英才教育を施すことは、少なからずリスクがあるということかもしれません。早熟な子供は傍から見ると能力が高いように見えますが、実際はそうでもなかったりして、英才教育が負担になってしまいストレスで今ある能力までスポイルされてしまうのかもしれません。

女子スポーツの世界では、テニスやフィギュアスケートなど10代前半の子が活躍しても、成長するにつれ能力が伸び悩み、10代後半で競技引退してしまうということも多々見られます。欧米では「バーンアウト・シンドローム」などと言われたりします。日本語に訳すと「燃え尽き症候群」のことで、英才教育による弊害の一例として紹介されることもあります。

一つの能力や分野に絞って英才教育や早期教育を過度に行ってしまうと、飽きてしまう、能力が偏ってしまう、過度のストレスがかかってしまい逃げ場を失った精神が逃避行動を起こしてしまうという事態につながることもあります。英才教育は子供の成長に合わせて、バランスよく行う必要があります。

12 1月

英才教育~母親脳

先日、全盲のピアニストである辻井伸行さんの生い立ちについて紹介しているテレビ番組が放送されていました。辻井さんの母親が伸行さんの音楽の才能に気づくまでについて説明するときに『母親脳』のことを紹介していました。

子供の小さな変化について気づくようになるのが母親脳で、それはプロラクチンというホルモンが母親の胎内で分泌されることによって起きるそうです。

女性は生まれつき母親なのではなく、母親になるのだということでしょうか。ラットからサル、ヒトに至るまでほとんど全てのメスの哺乳類は、妊娠し母親になると行動が根本的に変化していきます。それまでひたすら自己の欲求と生存だけを追求していた生物が、子どもの世話や幸せに重点をおくように変化するのです。

最新の研究によると、妊娠や出産、授乳中の劇的なホルモンの変動のためにメスの脳が再構築されるらしいのです。脳のある領域ではニューロンが大きくなり、別の領域では構造的な変化が起きていきます。変化が起きる部位の中には巣作りや子どもの毛づくろいをしたり、捕食者から子どもを守ったりといった母性行動の制御と関係するものもあります。

しかしそれだけでなく、記憶や学習、それに恐怖とストレスへの反応を制御する領域も影響を受けます。最近の実験から、迷路や餌の採取といった課題では、出産を経験していないラットより母親ラットの方が優れていることもわかってきました。

また、ホルモンが誘発する母親の脳の変化は一時的なものではなく老齢期に達まで持続するようです。

03 12月

子供の才能

子供には無限の才能が眠っているそうです。「そうです」っていうのはちょっとおかしいかもしれませんが、人間には眠った才能というのがあると言うことだと思います。

子供に対する英才教育は、この眠っている才能を見つけてあげることなんじゃないでしょうか。何色にも染まっていない子供を一色に染め上げるのが英才教育だと思っている方もいるかもしれません。

音楽の才能があるから、音楽だけやらせてあげればいい。
絵画の才能があるから、絵の専門教育を受けさせる。
勉強が良く出来る子供だから、運動はさせなくてもいい。

こうした考え方は、子供の可能性を広げる英才教育ではなくて、可能性を狭めているんじゃないでしょうか。人間誰にだって得手不得手はありますから、出来ることと出来ないこともあります。

子供は可能性の塊ですから、今出来ないこともいつか出来るようになるかもしれない。思いもしない才能が眠っていて、いつか開花するかもしれない。そうした可能性を見逃さないで、可能性を広げていくのが英才教育だと思います。子供の興味が主体性を持って発揮されるまでは、あらゆる可能性の芽を摘まないように様々なことに触れさせてあげることが英才教育だと思います。

「私の子供だから」とか「普通の子供だから」と高をくくって見逃してはいけません。いろんなきっかけ作りをしていくことが本当の英才教育だと思います。子供が興味を持ったものは、財布と時間が許す限り体験させてあげるようにしましょう。

06 11月

数学の英才教育

「数学オリンピック」や「算数オリンピック」というイベントをご存知でしょうか。「数学オリンピック」は中高生対象、「算数オリンピック」は小学生が対象の世界的な数学コンテストです。世界中から子供たちが集まって、数学の難問を解くのを競う国際イベントです。

算数や数学という学問は、得意とする子供と全然ダメという子供に大きく分かれる科目です。数字に対する知能を高めるために、数字に対する苦手意識を植え付けないために、盛んに英才教育が行われています。代表的な英才教育には、小学校就学前に四則演算を教えたり市販の数学ドリルをパズル代わりに解かせたりといったことがあります。

知的好奇心が旺盛な時期に、「遊び」として算数の世界の魅力を伝えることで、その後の自発的な成長を促す目的です。

基礎的な学力が身に付く公文式では、幼児を対象とした教材があり、はじめて鉛筆を握る子供でも入りやすいカリキュラム設定で、直線や曲線を書く練習からはじまって数字や文字を書くための練習にもなっています。公文式の算数・数学は、基礎的な計算力をつけるのに適しているのではないでしょうか。

正確かつスピードのある計算力は、算数・数学の上達に必要不可欠な要素です。数学博士のピーター・フランクルさんが監修しているIMA算数・数学アカデミーは、ネット上の算数・数学学習システムで、学校で習う基礎的な分野とは違って、より数的な思考力を高めるカリキュラムで、算数・数学に興味のある小中学生を対象として良質な問題を提供しています。

06 10月

英語は英才教育が必要?

小学生の娘を英会話教室に通わせていますが、小学1年の時から通っているので町の看板に書いてあるローマ字や簡単な英語はスラスラと読めるようになっています。これも英才教育なのかしら(^^)

まぁ、イマドキの小学校は、高学年になるとアルファベット、ローマ字を覚えて、英会話の基礎も学ぶので英会話教室に通うことはもう英才教育とは言わないかもしれませんね。私たちが小学校の頃は、英会話学校というのもほとんどありませんでしたし、社会に出て英語を話さなければならなくなった人が通う場所だったような気がします。(30年前当時、子供で英会話学校に通っていれば、絶対英才教育だったと思いますが!)

先日の鳩山首相の国連での演説や、オリンピック開催地選挙の会議での石原都知事の演説など日本人が英語でスピーチする様子が立て続けに報道され、堂々としゃべっているのは見てて気持ちがいいものです。やはり、自分の子供も英語を勉強するのであれば、堂々とスピーチできるほどに話せるようになってくれるといいな、と思います。

世界の中で英語を話せないということは、発言力がないことと同じ。通訳に頼っていたのでは、交渉ごとだって人任せになってるとの変わりません。やはり、国際的な競争社会の中では自分の意見を堂々と英語で話せることが最低条件ではないでしょうか。そのためにも、英語の英才教育は必要じゃないかと思います。英才教育の必要性については、確信はありませんが、英語については英才教育必要だと思います。

03 9月

英才教育のキモ

幼い子供に専門的な教育を施すことを英才教育と考えている方が少なくないようです。右も左もわからない子供に、とにかくひとつのことを教え込んでいけば、その道のプロフェッショナルや専門家になれると考えているようです。

しかし、子供には何の予備知識もなく、選択肢がない状態で専門教育を施すことは「洗脳」に近い危険な行為なのでよほど慎重にならなければ、大変なことになってしまいます。このことは、勉強に限らずスポーツなどにも共通します。

次にもう一つ英才教育で気をつけたいこと。
子どもの「自ら考える力」を大切にすることが重要です。子どもが可愛い余りに、愛情深い親によくありがちなことなのですが、子どもにじっくり考える間を与えないで、どんどんとせかしたり、先走って子どもが本来やるべきことをやってしまうというケースがよくあります。

子どもが勉強していて、プリントを やっているときなども気をつけたいところです。プリントは子どもの考える力をひき出すためにやっているものです。深くよく考える力をつけてあげることが重要です。なるべく子どもが独力で完遂できるように意識して、助けてあげる際にもできるだけ簡潔に ヒントを与える形でのアドバイスに留めましょう。

なんでもお膳立てをしてあげたくなるのが親の常です。でも、ときにはグッとこらえて敢えて見守ってあげることも愛情です。英才教育の場合は特に、親が引っ張っていく形になりやすいようです。意識して子どもの目線になって考えてみましょう。

06 8月

英才教育で気をつけたいこと

「子供に英才教育を・・・」と考えたときに気をつけたいことがあります。
子供の知識の伸ばし方は、一方的な詰め込みであってはいけません。子供の知識を伸ばしてあげる場合には、子供が興味や好奇心のあるジャンルをひとつもしくはふたつの能力に特化して英才教育をすると飛躍的に伸びるということです。

それでは、子供の好奇心をどうやって刺激してあげたらいいのでしょうか?
まず人間の脳は好きじゃないことを受け入れるにできてはいないので、嫌いなことは押しつけないようにすること。まずは、好きなことを自由にさせてあげることが大切です。その上で、嫌いなことも好きになるように手助けする工夫をしましょう。

子供の好奇心を刺激してあげること、大きく育てることが英才教育の第一歩です。
そのためには子供にいろいろな経験をさせたり、体験をさせることが重要です。そうすることで、子供の好奇心はやがて、「どうして?」、「なんで?」っていう風になってくるはずです。

その質問のたびに親は答えてあげてください。やがて子供は自分で調べたり、いろいろと工夫するようになります。子どものすごいところは、好奇心を刺激されることで次々と興味の対象が移っていくことです。

「なんでも知りたい」
「どうしてなのか、理由を知りたい」

こんな風に無尽蔵の気持ちが湧き上がってくるのです。凄いことだと思います。とにかく好奇心を大きく育ててあげることが大切。これが英才教育の第一歩です。

03 7月

英才教育と先取り教育の違い

英才教育を調べていて、興味深い内容の記事があったので内容をかいつまんで紹介したいと思います。

日本には公的教育において「英才教育」というものは存在しませんが、そのことによる弊害があるのではないか。
通常教育についていけない「落ちこぼれ」の生徒に対するケアはされるが、力(ちから)がある子供が能力を伸ばしきれないことにはほとんど配慮されていません。従って、能力のある子供の教育は、塾任せという状態が続いているのではないか。

こうした商業主義に偏りがちな塾でのカリキュラムは、単純にカリキュラムを先取りして前倒しに知識を詰め込む教育になってしまうが、こうした「先取り教育」では子供の能力を伸ばすことにつながらないのではないか。

抽象概念を明確に系統立てる思考力・仮説を立てる能力を養う、語彙力・情報処理力を高める、などの目標が掲げられ、単にカリキュラムを「先取り」するのではなく、より深く「掘り下げる」のが英才教育ではないか。

例として、欧米諸国での「英才教育」について紹介があります。
アメリカ(州ごとに違いはある)では、何かの科目で著しく他の子よりも抜きんでた特別の才能が認められる生徒を選抜して、別クラスで教えるとか、小学校3年くらいでテストをして、成績上位者を「Gifted」(才能があるという意味)として別クラスにするなど、出来る子が足踏みしないように配慮する英才教育が多いようです。

「英才教育」と「先取り教育」を混同してはならない、ということだと思います。

04 6月

英才教育(早期教育)に対する懸念

幼児や未就学児~小学生に対して行われる英才教育(早期教育)には、どんな問題点が指摘されているのでしょうか。
単純に考えると、聡明な子供に早い時期から高度な教育を施すことにはなんお問題もないと思われますが、実際のところどんな懸念が心配されているのかみていきましょう。年齢に固執せずに次々と課程を進むのが、英才教育(早期教育)ですが、特に乳児・幼児・小学校低学年など小さい子供には無駄、弊害があるという説も唱えられています。

[科学的観点からの批判]
右脳を鍛えること、3歳までに教育を開始しないと手遅れ、という考えがあるが、こうした考えには基本的に根拠がない。

[子供への悪影響に関する危惧]
十分な認識力や判断力などが身につく前の幼児に、文字や数だけを取り出して概念的な認識の獲得をさせようという「知育に偏る教育」は、子供の総合的な成長に悪影響を与えるのではないかという批判があります。

早期教育で実年齢相当の学習内容を終えてしまっている子供は、学校の授業が退屈で「浮きこぼれ状態」になり、周りの子供との関係において疎外感、孤立感を深めてしまうのではないかという批判があります。

[親子関係への悪影響に関する危惧]
そもそも子供が本当に早期教育をやりたがっているのか、やりたがらないことを無理にさせて悪影響はないのかどうかという危惧。
英才教育(早期教育)を受けた子供は、幼小の頃から本音を抑え親に気に入られることを優先する傾向にあるため、自由な感情表現や欲望のコントロールの訓練をする機会が減ってしまうのではないか。

[社会への悪影響に関する危惧]
現在の学校制度の枠内では、経済的に恵まれた一部の子供が英才教育(早期教育)を受けることができるという経済格差に起因する学力格差を生む可能性についての危惧。

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なぜ、ウチの子だけ合格するのか?―中学受験「かしこい塾の使い方」

11 5月

最近の英才教育

一昔前と違って、現在では小学校で英語も学習します。
最近では未就学児の英会話学校と言うのも珍しくなく、日常の英会話程度なら難なくできるという小学生も少なくありません。

国際化が進む現代では英語が話せるのは必須能力かもしれません。

こうしたことは今の親の世代が小学生時代だったら、「英才教育」を受けているエリートと呼ばれたかもしれませんね。
「エリート」とは、辞書によると「選び抜かれた人」とか「優秀な人」という意味だそうですが、昔なら選ばれた人とか家庭環境に恵まれた人だけが英才教育を受けられたのですが、現代ではそうした教育を多くの人たちが享受することができます。

つまり時代とともに「英才教育」というものは移ろい行くものなのだということです。
例えば200年前の江戸時代の日本であれば、寺子屋に通えるのは武士の子供だけですし、女性は寺子屋に行くことも少なかったと思います。
まして田舎の農民の子供は教育さえまともに受けられなかったと思います。

まさに教育を受けること自体が英才教育だったのではないでしょうか。
それからたったの200年の間に、世の中が変わり教育あり方も大きく変わってきました。

これから21世紀を背負っていく子供たちに対する英才教育とは、今までとは違ったものになるはずです。
この10年でインターネットの普及がきっかけとなってシームレスに世界と関わる時代となりました。こうした世の中では日本人としての自覚よりも世界人としての自覚を持つ新しい人間作りが必要になってくるのではないでしょうか。それこそが新しい英才教育だと思います。

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